「茶道」とは、日本の伝統的な様式に則り、亭主が客人にお茶を点(た)て振舞い、客人は亭主のおもてなしを受け、お茶をいただくことを言い、「茶の湯」とも言われます。
「茶道」では、お茶の点て方(点前)、いただき方、座り方、礼(お辞儀)の仕方、立ち方、歩き方の動作にも色々な決まりがあり、これを作法といいます。この作法は、客人をもてなし、お茶をおいしく差し上げるため、また客人がもてなしを受け、お茶をおいしくいただくためにできたものです。
「茶道」は単にお茶を客人に振舞い、お茶をいただくだけではなく、亭主と客人との精神的な交流を重んじる精神性や思考、そのための茶室や庭、茶室のしつらえ、茶道具の選別や鑑賞、振舞われる料理や手前作法などの審美性が融合した総合芸術ともいえます。
また、客人をもてなす茶道の精神は、現代の日本人のおもてなしの精神にも通じています。
おもてなしの心に触れながら、お茶を楽しむことが、茶道では大切です。
お茶は中国から渡来し、鎌倉時代(1185-1333)には禅宗(臨済宗)と共にお茶を持ち帰った栄西により、禅宗と共にお茶も全国的に広まったといわれています。そして、室町時代(1392-1491)には、中国からの「唐物」がもてはやされ、それを使用したお茶会が流行する一方で、「和物」といわれる日本製の茶道具を使用し、亭主と客人との精神的な交流を重んじる「わび茶」を村田珠光(1423-1502)が成立させ、茶室・茶道具も次第に派手で華美なものから、精神性を尊ぶ質素なものが尊重されるようになりました。その後、その精神を武野紹鷗(1502-1555)が受け継ぎ、その弟子の千利休(1522-1591)が、安土桃山時代(1573-1603)に、「わび茶」を完成させました。それが今日の「茶道」・「茶の湯」の礎となっているといわれています。
これまでに千利休の子孫による「表千家」「裏千家」「武者小路千家」のいわゆる「三千家」を始め、多くの流派が誕生し、今日でも広く人々に親しまれています。